ゆーすPのインディーロック探訪

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2010年代ベストアルバム50選 PART4:TOP 50 ALBUMS OF 2010s [20-11]

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※PART1(50位から41位)はこちら↓

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※PART2(40位から31位)はこちら↓

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※PART3(30位から21位)はこちら 

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ということで予告通り20位から11位です。

 

TOP 50 ALBUMS OF 2010s [20-11]

20 The National / Sleep Well Beast (2017)

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徐々に徐々に、一歩ずつ、The Nationalはそうやって進化してきた。粗削りな部分もあった楽曲は(それはそれでもちろん魅力的だが)アルバムのリリースを経るたびに洗練さを増し、リード曲とそうでない曲との間にクオリティの差があったアルバムは徐々に全体としての完成度をブラッシュアップさせてきた。

そうした中で、The Nationalとしての魅力が失われることはなかった。マット・バーニンジャーの低く呟くようなボーカルに叙情的なメロディーラインが合わさる彼らの音楽はずっと、私達の心に寄り添い続けてきた。

そんな彼らのニューアルバム"Sleep Well Beast"は、彼らのデビュー来の進化と個性が、最大公約数的に見事に結びついた作品だ。精密に構築されたアレンジと鋭いアグレッシブなギターが見事に溶け合い、静と動、光と闇が交差するように躍動的に私達に迫り来る。

確かにThe Nationalというバンドは地味だ。初めて洋楽を聴く人にオススメできるような音楽ではないのかもしれない。しかし、日常に寄り添う音楽とはそういうものだ。日常に分かりやすい何かは存在しない。複雑にからまり合い、微妙に、はっきりとしないうちに日々は過ぎていく。そんな日常を、"Sleep Well Beast"はほんの少しだけ、彩ってくれる。そして、確かに少しだけかもしれないが、ずっとこれから先も、日々を彩ってくれるような予感がする。

 

19 The xx / I See You (2017)

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インディーロックにとっての2017年は、1月1日ではなく、このThe xxの"I See You"が発売された1月13日に始まったと言っても過言ではない。2016年の年間ベストから閉め出されたインディーロックがいかにして再び大成するか——"I See You"はそんな大きな課題を見事に乗り越えた。

アンダーグラウンドシーンから成長してきたThe xxは、本作でインディーロックと「ポップネス」をシームレスに見事に結びつけた。このことは、ダリル・ホール&ジョン・オーツのI Can't Go For That (No Can Do)をサンプリングした"On Hold"が端的に示すところであるが、この変化に果たしたジェイミーの貢献は非常に大きい。ジェイミーが2015年にリリースしたソロアルバム"In Colour"で見せたミニマルなインディーロックとエレクトロ、ハウスの交配的アプローチが、The xxの「クロスオーバー」的なあり方を可能としたのである。

フジロックのセカンドヘッドライナーを見事に勤め上げた3人は、3rdアルバムにして早くも、その人気を決定的なものとした。この人気をまさに獲得していくその過程を、我々は幸運にも目撃することができた。次のアルバムでは是非ヘッドライナーとしてのカムバックを。

 

18 Dirty Projectors / Lamp Lit Prose (2018)

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Dirty Projectorsは、デイブ・ロングストレスは、インディーロックを諦めなかった。前作から一年という短いスパンでリリースされた本作Lamp Lit ProseでDirty Projectorsはバンドサウンドへの華々しい回帰を果たした。

そんなバンドサウンドへの回帰を果たした本作だが、ミニマルで閉鎖的内省的であった前作とは対照的で、開放感溢れるムードとなっている。ジャケット写真がBitte Orcaをイメージさせるものであることからも伺えるように、アルバムのイメージは非常にBitte Orcaのそれと近い。本作に参加しているアーティストとしては、元Vampire Weekendのロスタム、Fleet Foxiesのロビンといったインディーロックの盟友から、The InternetのSydやAmber MarkといったR&Bミュージシャンに至るまで非常に幅広い顔ぶれとなっている。

2018年のフジロックでは、何よりもデイブが楽しそうにバンドメンバーと演奏するのが印象的であった。孤独を知った彼が奏でるバンドサウンドは、共に演奏することの喜びに満ちていた。様々な苦難を乗り越え、試行錯誤を経て、たどり着いた本作で、デイブは見事にUSインディー、ブラックミュージック、ポップネスを結びつけたのである。

 

17 Radiohead / A Moon Shaped Pool (2016)

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Radioheadのメッセージはずっと明確だった。今から23年前、1stアルバムの一曲目"You"で"あなた"と対峙して以降、対峙する"あなた"が"あなたたち"となり、"英国"になり、"世界"になり、それはその音楽性が非常に難解であったKid A(2000)やAmnesiac(2001)においてもまた、明確だった。彼らがHail to the Thief(2003)において、ブッシュ批判を行った際も、その怒りの矛先(=敵)ははっきりとグローバリズムや資本主義に対して向けられていた。

しかし、本作に目を転じてみると、タイトルの”A Moon Shaped Pool”やジャケット写真が暗示するように、その輪郭は不明瞭ではっきりとしない。"Daydreaming"のPVにおいてトムはまるで生霊か亡霊のようにどこにもない自分の居場所を探し歩く。本作のオープニングトラックである"Burn the Witch"は、単なる魔女狩りの話かと思うと実は『ウィッカーマン』であるという突飛でホラー染みたオチで締められる―といった具合である。Radioheadにとって、2003年の世界における敵は可視的で分かりやすかったが、今はそうではない。複雑化したこの社会において、"悪者"である魔女を狩る魔女狩りもまた、"悪者"になりうる。

そんな輪郭のはっきりとしない水溜りで、僕らはただ彷徨っている。何が正しく、何が間違っているのか、そんな単純なことも分からない。そうやって真実を考え続ければ考えるほど、世界を想えば想うほど、世界から疎外され僕たちは行き場を失う。ましてや家族を失ったトムには行き場はおろか帰る場所もない。   

"Daydreaming"のPVのラストシーンにおいてトムが彷徨い続けた先に見つけた場所は、雪に覆われた山奥の洞窟だった。見つけた、というよりは、何かから逃げるように、追いすがるようにして辿り着いた、と言ったほうがいいかもしれない。トムは悲しみ絶望しているというよりはむしろ、ただ途方に暮れそもそも悲しいという感情さえも失っていた。だからこそ、ラストナンバー"True Love Waits"が恐ろしく心に突き刺さる。美しいピアノアレンジに乗ってサビで繰り返される"Don't leave"のフレーズ―"Radioheadにしては珍しく直球の歌詞であるが―はトムの悲痛な叫びにも、優しい子守唄にも聞こえてくるのだ。それは、愛を失い、その本当の大切さに気付いた彼が手にした一つの結論なのかもしれない。

 

16 Superorganism / Superorganism (2018)

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本作は、音楽の日常性と非日常性の両方の性格を表現している。

基本的に彼らの音楽の多くはサイケデリックでドリーミー、その意味では非常に非現実的な性格を有している。全編を通して聴かれるうねるシンセやギターのリヴァーブに見られるように、こうした仕掛けは我々を別世界へ、夢や幻想の世界へと誘う働きをする。さらに歌詞に目をやると、"I think that you and I could set the world alight"(Everybody Want Be Famousより)や"We know you feel the world is too heavy but you can turn around if you want"(It's All Goodより)など、「我々は世界を変えることができる」というあまりにもオプティミスティックな一節が並んでいる。こうした世界に対する楽観的な予測は、リアリスティックなものというよりは理想的、空想的なものだ。

一方で、所々に散りばめられた生活音が我々を現実世界へと引き戻そうとする。それは雨の音であったり小鳥のさえずりであったり車のクラクションであったり、我々が生活する中で日々耳にする音である。こうした音がちりばめられたものとして最も特徴的な曲が、"Nai's March"だ。同曲の1分過ぎ、それまで流れていた楽曲が突然音楽がフェードアウトし、聴きなれた駅のアナウンスと発車ベル、そして緊急地震速報の警報音がけたましく鳴り響く。実際に私がこの曲を電車の中で聴いていた時、突然イアフォンから流れ出したアナウンスに驚き、そしてはっと現実の世界へと揺り戻された。この駅のアナウンスが日本のそれであることもあって、本当に現実世界でこのアナウンスが流れたかのような錯覚に陥ったのだ。

 

15 Frank Ocean / Blonde (2016)

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「個人的なことは政治的なことである」とは60年代以降のフェミニズム運動のスローガンであるが、この標語は2010年代の音楽シーンにも当てはまる。コンプトンでの個人的な経験(good kid, m.A.A.d city)を分断化するアメリカ社会への抵抗(Alright)へと結びつけたKendrick Lamar、夫の浮気を糾弾しながら(Sorry)女性・黒人の社会的アイデンティティ(Formation)を高らかに歌い上げたBeyonce。そして、このFrank OceanのBlondeもまた、彼の個人的な恋愛経験と、ハリケーンカトリーナ、Black Lives Matter、SNSメンタルヘルスといった政治的・社会的なアメリカを覆う問題が結びついた、個人的でありながらも政治的・社会的な作品だ。

商業主義に規定される欲望、自分には制御不可能な自然災害が降りかかるという恐怖、あるいはインターネット/SNSがもたらす情報過多とそれらが蝕む自己表現のあり方。これらは我々に「私たちにはどうすることもできない(we’ve no control」(Pink + White)という事実を突きつける。オープニングトラックNikesのヴォーカル処理を聴くに、引き裂かれたフランクの声とオートチューン加工が施されたエレクトロニックな声は、現代人の自律性に疑義を投げかけているようにも思う。

フランクは、そうした現代社会の状況を認識した上で、「他の誰かになろうとするな(Don’t try to be someone else)」(Be Myself)と訴える。構造主義の暴力に、なんとかして抗おうと言葉を紡ぐ。自分の青年時代、あるいは下積み時代の経験を詩的に歌い上げ、自身の失恋を丁寧に歌詞に込めた本作には、そんなフランクの想いが詰まっている。そう考えると、アンビエントR&Bと形容される本作においてドラム/リズムの音が極限までに削ぎ落とされているのは、リズムという”control”からの解放を、感情を自由に発露させる為だったのかもしれない。

 

14 Cloud Nothings / Attack On Memory (2012)

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グリーンデイやSum41といったポップパンクの影響が色濃かった1stアルバムから一転、2ndアルバム"Attack on Memory"は重く、くぐもったグランジ/オルタナの影響を強く受けた作品となった。オープニングナンバーNo Future/No Pastは、BPMをぐっと落とし、不穏なピアノ音から始まるこれまでのCloud Nothingとは全く対照的な一曲であるし、約9分にも及ぶ2曲目Wasted Daysではバンドのダイナミズムをひしひしと感じさせるアグレッシブな曲展開が見られ、これもまた、これまでの宅録的なローファイサウンドとの対照をなしている。

こうしたパンク/グランジ化を成し遂げた裏には、NirvanaPixiesの作品を手掛けたスティーブ・アルビニの存在が大きかった。フロントマンのディラン・バルディが話しているように、本作は2010年前後のインディーロックシーンの潮流に対する反動を意図しており、その意味で80年代への回帰が一つのムーブメントであった2012年に、彼らは90年代のパンク/グランジへの回帰を志していたということになろう。

こうしてアグレッシブなサウンドグランジを現代に継承する存在として注目を集めた彼らだが、そのすべてが「アルビナイズ」されてしまったわけではない。むしろ、Cloud Nothingの魅力はグランジ化してもなお消えることのない軽快なポップセンス、キャッチ―なメロディーにあるように思う。Fall InやStay Useless、Our Plansといった曲を聴けば明らかなように、人懐っこいキャッチ―なメロディーは健在で、その意味では、1stアルバムと本作はその地平を共有しているような気もする。アルビニグランジというと、無機質で厭世的、頽廃的なイメージが強いが、Cloud Nothingsはそれらに完全に回収されることなく、どこか優しさのようなものを残している。こうしたサウンドメイクは、やはり彼らが00年代のインディーシーンを通過した2010年代のバンドであることの証明なのではないだろうか。

 

13 Arcade Fire / The Suburbs (2010)

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「日本人にはアーケード・ファイアは理解できない」とはよく聞かれた言説であった。1stアルバムFuneralこそ知名度はかなり高いかもしれないが、実は国内版CDは廃盤状態であるし(Amazonでは新品が3万円超!)、2ndアルバムNeon Bibleに関しても北米に独特な修辞が多く、キリスト教的な世界観に彩られており日本人にはなかなかなじみがないテーマであった。正直私はアーケード・ファイアのメッセージをよく理解することができなかったし、その不安は「郊外」と名付けられた2010年リリースの3rdアルバムThe Suburbsにおいても消えることはなかった。

一般に、日本には北米のような「郊外(suburb)」は存在しないとされる。そもそも日本においては「郊外」の明確な定義が存在しておらず、単に「都心から離れた緑の比較的多い一戸建ての多い場所」というイメージで語られている。イギリスやオーストラリアにおいても、suburbの語は単に「都心の近隣にある人口の多い場所」とされており、これもまたアメリカ英語的なsuburbの持つ意味と異なっている。

アメリカにおける「郊外」はフロンティアが消滅し、開拓の時代から都市の時代へと移り変わり、世界経済の中心地となった社会が産み落とした内的必然性から出現した一つの歴史的帰結であるという*1。その意味で、アメリカにおける郊外とはアメリカの社会・歴史そのものでもある。それほどまでに、郊外というのはアメリカ社会における重要な場であるということだ。

フロントマンであるウィル・バトラーが育ったヒューストンの郊外からインスピレーションを得たという本作は、彼の様々な体験から、ノスタルジー、青春、孤独、退屈、あるいは平凡さが歌われている。「郊外で僕は車の運転を習った」「そして僕たちは生き延びることができないと君に言われた」*2と歌う"The Suburbs"は田舎の退屈な生活とそこから抜け出すことの出来ない青年の嘆きが表現されている。「正気を失いそうになる街が存在する」「終わりがなく表情のない郊外の風景は続く」(Wasted Hours)や「自分は彼らとは違うって信じてたけど今はよくわからないんだ」(City With No Children)といったように、退屈さや平凡さに嘆く青年の感情が散見される。

一方でウィル・バトラーがそうであったように、大人になるにつれ郊外を離れ、若者は都会へと移住する。あんなにも退屈であったはずの郊外が、どこか恋しく感じるようになる。「きみがその髪を切ったから、僕はきみに二度と会うことはない」(Suburban War)「僕たちの暮らしはものすごいスピードで変わっていく」「ピュアなものが存続しますように」(We Used To Wait)といったフレーズは、郊外に対するノスタルジーと、目まぐるしく動き回る都会に馴染めない心情が表れていると言えよう。

そう考えると、郊外というのは、退屈、平凡、憧憬といった様々な感情が入り混じったとても一言では言い表せない場所であることがわかる。確かにバトラーはこれらを表現するために「郊外」というアメリカンなタームを用いたわけだが、そこで歌われている様々な感情は、決してアメリカ特有のものではない。郊外を田舎、故郷と言い換えてもいいかもしれない*3。The Suburbsは、日本に生きる我々の物語でもある。

 

12 Bon Iver / Bon Iver (2011)

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フォーク、アコースティックからエレクトロ、アンビエントに至る多様な音像をバックに、Antony and the Johnsons直系の力強いヴォーカルが乗った本作で、ジャスティン・バーノンは10年代の地平を明らかにした。素朴なアコースティックサウンドにデジタルクワイアを思い切りぶつけることで荘厳な雰囲気を演出するという10年代的テクニークの発明は、次作”22, A Million”で大成することになるわけだが、その萌芽は確かに本作でも確かに見受けられる。

メロディがあって、そこに音節を乗せたものを後で聞き取り、聞こえた音を言葉にしていくことで歌詞を完成させているとインタビューで答えているように、ここで歌われている歌詞は抽象度の高い詩的なものだ。その意味で、やはり本作は音楽的な美しさを最大限に発揮するべく精巧に作り上げた作品であると言えよう。

あくまでも10年代を経験した後から見た遡及的な言説でしかないが、Bon Iverのサウンドは10年代を象徴するものとなった。Kanye WestがWoodsをサンプリングし、James Blakeとのコラボ曲を発表するなど、彼の活躍はインディーシーンに留まらない。以降の音楽シーンの分岐点となった非常に完成度の高い一枚だ。

 

11 James Blake / James Blake (2010)

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 2ステップとR&Bのヴォーカルサンプルを結びつけたBurialの功績をJmaes Blakeは見事にポップミュージックの領域へと持ち込んだ。限られた音数の中で反響する幽玄なエフェクトがかかったヴォーカルは、ポスト・ダブステップ時代の幕開けを思わせると同時に、オートチューン以降の時代のモードをも象徴している。

 

次でラスト(10位から1位)です。

 

TOP 50 ALBUMS OF 2010s [20-11]

20 The National / Sleep Well Beast (2017)

19 The xx / I See You (2017)

18 Dirty Projectors / Lamp Lit Prose (2018)

17 Radiohead / A Moon Shaped Pool (2016)

16 Superorganism / Superorganism (2018)

15 Frank Ocean / Blonde (2016)

14 Cloud Nothings / Attack On Memory (2012)

13 Arcade Fire / The Suburbs (2010)

12 Bon Iver / Bon Iver (2011)

11 James Blake / James Blake (2010)

 

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*1:杉浦章介 (1994) 「郊外ミドル景観の創始と変容」『アメリカ研究』28.

*2:以下、同アルバム楽曲の和訳は和仁りか氏[Arcade Fire/The Suburbs日本版CD付属の対訳カード掲載]に依っています。

*3:一方で、バトラーが「郊外」という言葉に込めたアメリカ的な意味を無視してはいけないとも思う。本作はあくまでも"The Suburbs"ではなければいけなかっただろうし、"Country House"(Blur)ではいけなかったはずだ。