ゆーすPのインディーロック探訪

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ロックスターとヒップホップスターの狭間でーーカテゴリー化の暴力を超えてーーDisc Review : Travis Scott / Astroworld

ロックスターとヒップホップスターの狭間でーーカテゴリー化の暴力を超えて

ディスクレビュー : Travis Scott / Astroworld (2018)

先日行われたアメリ中間選挙。そこで明らかになったことは、多くの有権者が自らのアイデンティティを積極的に政治に反映させようと行動したことであった。政治においてアイデンティティが重要なファクターとして立ち現れたのである。実際に同選挙は、LGBTを公言する候補者や女性の候補者、ムスリムの候補者が存在感を示す選挙となった*1

一方で、ポストモダンに生きる我々は、他人、権力によるカテゴリー化、分類化には抵抗を示す。他人が何らかの身体的、精神的、血縁的特徴を基に”私”をカテゴライズするようなことがあれば、そのラベリングに我々は異常なまでの嫌悪を覚える。それは「女だから」「子供だから」「ゲイだから」と言った文言がすぐに炎上するTwitterを見れば一目瞭然だ。

この一見矛盾する構図は、決して分かりにくい話ではない。一方でアイデンティティを他人からラベリングされることをひどく嫌い、他方で自らのアイデンティティを積極的に公言する。“私”とはどんな人間か。それを決定する権利は自分だけにあって、決して他人から強制されるものではない。こういう考え方は、自由や自己決定の権利といった思想に基づいたものだ。

  

こうした、いわば「アイデンティティの自決権」をめぐる構造は音楽においても言えることだろう。

多くのミュージシャンが自分の音楽がどのようなジャンルに属するものであるかに意識的であり、その意識に基づいてコマーシャルな戦略を練り上げる。商業音楽の場合は特にこの傾向が強く、自分の音楽をマーケティングするために、自分の音楽がどのような層にウケるかを考え自分にラベリングを施す。

一方で、周知の通り、自分たちの音楽が何らかのジャンルにカテゴライズされることをひどく嫌うミュージシャンは多い。トリップホップというラベリングを嫌ったMassive Attackをはじめとしてそういった例を挙げればキリがない。

そして現在、この「アイデンティティの自決権」をめぐる構造が顕著に現れているのが、昨今のヒップホップシーン、特にサウスシーンだ*2

彼らはヒップホップ、ラッパーといったラベリングをひどく嫌う。その中でもTravis Scottの発言は象徴的だ。

Man, I'm not hip hop, I might be an MC and a rapper, but man, I [do] this process differently. (...) I don't like categories. I'm an artist. I produce, I direct, and all of that goes into the music. *3

この発言からは、彼のカテゴライズ化への嫌悪がダイレクトに伺える。

他方で彼らは異なるアイデンティティを驚くほどストレートな形で希求している。そしてそのアイデンティティこそ、他でもないロックスターとしてのアイデンティティである。今年のフジロックを沸かしたPost Maloneの楽曲"rockstar”、かつての”ロックスター”カートコバーンを彷彿とさせるグランジオルタナ的な影響を前面に打ち出したLil PeepやXXXTentasion、そして”Black Beatles”で自らの成功とビートルズを重ね合わせたRae Sremmurd等々、彼らのロックスター的自己規定の傾向は明らかである。

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ただし、彼らはヒップホップとしてのアイデンティティを棄てているわけではない。実際にサウスシーンのミュージシャンの多くがヒップホップ起源のトラップミュージック的傾向を示しているし、その歌詞やスタイルに目を向けても、ヒップホップ的価値はある種の誇り高きアイデンティティとして表象されている。

 

Travis ScottのAstroworldは、このラベリングとアイデンティティの自己規定にまつわる二重性を、非常に突出した形で乗り越えることに成功している。2005年までヒューストン実在したテーマパーク”Six Flags AstroWorld”に由来するタイトルを冠した本作は、サウスシーン、ヒップホップ史の潮流を自覚的に引き受けつつ、他方でロックスター的アイデンティティを称揚するのである。

オープニングトラック”Stargazing”では上述のテーマパークAstroWorldやヒューストンロケッツ(NBAの一チーム)の本拠地トヨタセンターなど、自らの生まれ育ったヒューストンへの言及が見られる。他方でこのStargazingというタイトルは明らかにAstroworldと同様の宇宙的世界観を示しており、ヒューストンというローカルさと対照的なユニヴァーサルなスケールが強調されている。アルバム三曲目、大ヒットシングルとなったDrakeとのSicko Modeは何度も転調を繰り返しながら進行するさながら10年代の"Happiness is a Warm Gun"だ。この曲名の"Sicko"はDrakeのホームタウントロントを示しており、ここでもローカルなもの、ホームタウンへの愛着が強調されている。 続くR.I.P. Screwは2000年にオーバードーズによって他界したサウスシーンのレジェンド、DJ Screwへの敬意を示した楽曲であり、ヒップホップ、サウスシーン的アイデンティティをはっきりと表明している。

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一方で、James Blake、Stevie WonderをフィーチャーしたStop Trying To Be GodはTravis Scottの音楽的懐の広さを示す一曲であり、James Blakeの美しく幽玄な歌声が非常に印象的である。実際に、上で引用したMTVのインタビューで、トラヴィスは自身の音楽がヒップホップと呼ばれることを否定すると同時に、Bon Iverをフェイバリットに挙げており、彼から音楽的影響を受けていること認めている。Bon Iverからの影響はStop Trying To Be GodのみならずSkeletonsでもうかがえる。同ナンバーはTame Impalaをフューチャーしたサイケデリックなナンバーであり、どこかレトロゲームのBGMを想起させるトラックが特徴的である。

こうした音楽的懐の広さは、彼の発言からも裏付けられる。ツイッターで”Thom Yorke in my system”と発言し、レディオヘッドからの影響をも受けていることを示唆したこと*4、さらにはカートコバーンを引き合いに出している(以下の発言参照)ことが例として挙げられよう。

It’s good for people like me and [Young] Thug and other people like [Kid] Cudi and Kurt Cobain, people that just keep it real *5

こうした彼の二重性、すなわちヒップホップ、サウスシーン的アイデンティティを強調する一方で、自身がヒップホップであるとラベリングされることを嫌い、ロック的なアイデンティティを強調すること、を単に矛盾だと切り捨てることもできるだろう。だが、この二重性は、矛盾というよりも、Travis Scottの強い意思表明なのではないだろうか。

 

近年、国際結婚によって生まれた子供を「ハーフ」ではなく「ダブル」と表現しようとする動きがある。

同じハーフ仲間でも「やっぱり『ダブル』って言い方が好き」という意見が多い。確かに言葉として「半分=ハーフ」より「倍=ダブル」の方がいい、っていうのは気持ちとしてわかるな。*6

「ハーフ」という表現が、二つのアイデンティティを「半分づつ」有している、というイメージに立脚したタームである一方、確かに「ダブル」という表現には二つのアイデンティティを「両方とも」有している、というイメージがある。元来、アイデンティティとは選びとるものであり、選択しなければならないものであった。実際に、「ハーフ」の子供達は大人になったら国籍を選択しなければならない運命にある。

しかしながら、「ダブル」という表現が用いられるようになってきていることからもわかるように、アイデンティティが複数あることを一種の豊かさとして捉えるような見方も徐々に広がってきている。確かに「二重国籍」をめぐる問題は複雑であり、「ダブル」の人々が国家に対する忠誠心を有していないと見做されてしまうことも確かである。しかしながら、ヨーロッパの現状を見ると「二重国籍」を認めないという選択肢がまったくもってうまく行っていないことは明らかである*7

そんな世の中で、Travis Scottがロックとヒップホップの二重性を主張したのは、まさに「ロックとヒップホップのダブル」のあり方を示しているのではないだろうか。これまで、ロックスターはヒップホップにはなれなかったし、ヒップホップスターはロックスターにはなれなかった。もちろん、ロックバンドがヒップホップを取り入れたり、ラッパーがロックを取り入れたりといったことはこれまで至る所であった。しかしながら、Travis Scott、ひいては近年のヒップホップスターたちは、そこから一歩進んで、ヒップホップスターかつロックスターであることを見事に成し遂げているように思う。

And wearin' these motherfuckin' Rockstar jeans, nigga *8

NirvanaのTシャツを身にまとい、ジム・モリソンのようにレザーパンツを履きこなし、"Wish You Were Here"と題されたツアーを回る。Travis Scottは単なるヒップホップとロックの架け橋であるに留まらず、「ロックでありかつヒップホップでもある」ような新たなスター像を模索している。 もはや「ロックは死んだ」という言葉それ自体が死につつある2018年。これからの「ロックスター」を担っていくのは、バンドではなくラッパーになるかもしれない。