ゆーすPのインディーロック探訪

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孤独なカリスマか、残虐な犯罪者かーDisc Review : XXXTentacion / ?

孤独なカリスマか、残虐な犯罪者か

Disc Review : XXXTentacion / ? (2018)

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最近、このXXXTentacionの"?"をひたすら繰り返し聴いているのだが、私はこの作品がいまいちよくわからない。作品を通して纏わりつくタイトルの"?"に象徴されるようなアブストラクトさ、断片的とも言うべき一曲一曲の短さ、そして彼のスキャンダラスなパーソナリティ、そのどれもが作品の理解を容易にすることの妨げとして私の前に立ちはだかる。

つまり、今回の記事で私は「よくわかっていない」ものをレビューするという、一種のタブーを犯してしまっている。しかしどうだろう。ここ日本での本作への評価を概観すると、やはり本作はよく理解されていないように見受けられる。
一方で、本作はビルボードでなんと一位を獲得している。本国において本作は、決して偏狭な音楽マニアのための一枚ではなく、広くポピュラーに聴かれる一枚として存在しているのである。——では、難解な音楽性でありながらにして、そして彼のスキャンダラスなパーソナリティにして、本作がアメリカでこれほどの人気を獲得できたのはなぜだろうか。

 

・XXXTentacionとは——アイデンティティ的多様性と音楽的多様性

まずはXXXTentacionというラッパーについて、そのバイオグラフィーを紹介したい。以下はReal Soundからの引用である。

彼はフロリダ出身の19歳のラッパー。本名はJahseh Dwayne Onfroy。エジプト、インド、ドイツ、ジャマイカ、イタリア系が入り混じった血筋だという。ドレッドヘアがトレードマークで、今年初頭にリリースされた「Look At Me!」で一躍注目を浴びたばかり。かと思ったら逮捕されて収監されたりと問題児ぶりも発揮している。*1

ここで目を見張るのは、彼のアイデンティティ的多様性とスキャンダラスな側面である。このパーソナリティに関わる部分は、本作にも大きな影響を与えている。一つ目の側面——彼のアイデンティティ的多様性——は、サウンドの多様性と、一方でアイデンティティの間で彷徨う彼の苦悩に鮮明に描かれている。
サウンドの多様性は彼の音楽が「グランジラップ」や「サウンドクラウドラップ」*2、「エモトラップ」などの様々な呼称で呼ばれることにも表れている。"Pain=BESTFRIEND"ではグランジ的な荒々しさと陰鬱さが叫ばれているし、"Floor 555"ではパンクミュージックを思わせる怒りを吐き捨てるような彼の声が特徴的である一方、"Moonlight"や"SAD!"では流れるようなフロウとメロディアスな彼のラップが耳を捉える。"I don't even speak spanish lol"でラテンチックなポップなナンバーが突然流れ出したかと思えば、続く"changes"は美しいピアノの音が響くバラードナンバーだ。
こうして様々な音楽を行き来する中で、彼の歌唱法も様々に移り変わる。それはラップであったかと思えばエモーショナルな歌となり、時には叫び声、金切り声となる。
そこで叫ばれる彼の苦悩は、彼の個人的な経験から来る悲しみや怒りに包まれている。そしてこうした悲しみや怒りから、彼の孤独感や拠り所のなさが浮き上がってくる。彼は冒頭の"introduction (instructions)"で"open your mind"と繰り返し「助言」をするのだが、この表現は、彼のパーソナルな作品に対する自らの見方が現れた表現とも言えるだろう。そして、この「心を開いてくれ(open your mind)」という言葉が、自分のことを誰もわかってくれないという孤独感を逆説的に強調しているように思えてならない。

 

・パーソナリティと作品の関係をめぐる問題

つまり、ここまで見てきたように、本作は彼のパーソナルな経験が反映された作品である。しかしながら、彼の場合はここで話が終われない。彼のパーソナルな部分は、あまりにも受け入れがたい一面を有しているのだ。彼はこれまでも様々な犯罪歴を有しており、現在も妊娠中の恋人への継続的な暴行や監禁の容疑をかけられている。
彼の作品が彼のパーソナルな部分と分かち難く結びついているとしたら、こうした凶悪犯罪もアルバムの一翼を担っているということを無碍に否定することはできないだろう。とすると、我々は果たして本作とどう向き合えば良いのだろうか。
チャックベリーやフィルスペクターも幾多の犯罪歴を持つミュージシャンとして有名だが、彼らの楽曲を聴く際、おそらく彼らの犯罪を思い起こす人はほとんどいないだろう。確かに作品と個人、あるいはミュージシャンとしての彼とプライベートな彼、は分けて考えることができる(もしくはそうすべきだ)という意見は広く存在する。
だが、こうした意見は正しいとは言い切れない。そもそも、その人のパーソナリティ・経験が一切反映されていない作品などあり得ないのである。いくらアーティスト側が自分自身の経験から切り離して作品を作ろうと意図したとしても、どこかで必ず自身の主観的視点が顕れてしまう。さらに言ってしまえば、ここで企図されている自身の経験からの遠ざかりは、彼の経験からの影響を受けていることを逆説的な形ではあるものの示してしまっている。本作はアーティストのパーソナリティや経験が作品に影響を与えている典型例で、彼の内面的な感情が大いに作品に昇華されている。

 

・若者たちの「グレ」が彼をカリスマへと引き上げる

しかしながら、本作はアメリカでこれほどの人気を獲得した。アメリカの若者たちにとって、彼の犯罪歴などどうでも良かった。彼の闇の部分は、彼の活動の足枷となるどころか彼をカリスマ的存在へと押し上げる後押しをした。
彼らはなぜ、彼を支持するのだろうか。チャンスが訴えたのは、平和の追求だったのではなかったか。サンダースを支持したのは、公正な社会を目指すためではなかったか。
とここまで考えてみると、もっと答えは単純なことのように思えてくる。すなわち、なぜ若者たちが彼を支持するか——それは、普遍的に存在する「グレ」なんじゃないかということだ。この「グレ」を、誰もが持っている。それはほとんどすべての若者たちが「反抗期」を迎えることからも明らかなことだ。
道徳や倫理に背を向けることをレゾンデートルとするような普遍的な「グレ」が広がることは、決して特殊なことではない。「グレ」は、どの時代でも、どこでも起きうる感情のあり方である。
それ故に、この「グレ」は広がりやすい。広がった「グレ」は時に人を深く傷つける。実際に彼を支持する人の中には、彼の暴行の被害者に対する非難までもが生まれてしまってるという。

 

もちろん、私は犯罪者の作る音楽はクソだ、とか、犯罪者のシンガーを支持するなんてけしからん、とか、そういうことを言いたいのではない。実際にXXXTentacionは素晴らしい楽曲を生み出したし、ビルボードで一位を獲得している。
しかし、それ(=受け入れがたい犯罪歴を有している人間の音楽が若者に人気だということ)に目を背けてしまうのは、あまりにも危険だ。現に、多くの音楽雑誌が彼の作品に対する言及を控えており、彼の作品に背を向けてしまっている。しかし、この「グレ」は自己発生的に生まれたものではない。世の中に対するどうしようもない不安や不満、閉塞感など、様々な社会的状況に「グレ」が生まれた原因はある。
彼の作品は素晴らしいことには私も同意する。しかしながら、彼の犯罪や彼のファンのあり方を見ていると、非常に危険な「悪い予感」がしてしまう。Lil Peepが悲劇的な死を迎えてしまったことも記憶に新しい。この負の連鎖が止まり、彼の音楽的魅力を音楽的魅力として、素直に受け入れることができるようになることを、私は願ってやまない。

 

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本作のリードシングル"SAD!"。愛する彼女と別れる際の心の葛藤とそれに続く鬱病的感情が流れるようなリリックに反映されている。楽曲自体は短いながらに印象的な"Who am I?"のヴァースが耳から離れない。