ゆーすPのインディーロック探訪

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パウロの人生、カニエの回心ーDisc Review : Kanye West / The Life of Pablo

パウロの人生、カニエの回心
ディスクレビュー : Kanye West / The Life of Pablo (2016)

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 前回の記事で昨年の作品Chance the Rapperの"Coloring Book"を紹介したのですが、今このタイミングで?と思わせる少し唐突な感じになってしまいました。反省。…なのですがそんな流れで今回もそんな昨年の作品であるKanye Westの"The Life of Pablo"を紹介します。このチャンスとカニエの両作品は、多くの共通項が見出せる、2016年を象徴する作品です。そんな彼らの共通項から、2016年的なサウンドの一つのキーワード、"キリスト教的要素"について考えたいと思います。

 

 "The Life of Pablo"なんて大仰なタイトルを付けられたもんだからコンセプチュアルなアルバムになることを予想していたのだが、なんともその期待を期待どうりに裏切られてしまった。"Ultralight Beam"でカーク・フランクリンをフューチャーし正統的にヒップホップとゴスペルを結びつけたかと思えば、"Famous"では"I feel like me and Taylor might still have sex. Why? I made that bitch famous"(俺はまだテイラーとヤってるのかも知んないな、なぜって?俺があのビッチを売名してやったんだからさ)とテイラー・スウィストを思いっきりディスる。てかテイラーと和解したんじゃなかったのかカニエよ…と思えば今度は何だ、"I Love Kanye"というタイトルからしてもうオチているインタールードがひょっこり顔を出す。などなど。また、数重なるアルバムタイトルの変更やトラックのアップデート、さらにTIDAL限定リリースからのアップルミュージックやスポティファイ解禁という流れ。こうした本作におけるリリースまでの過程を見るとそんな訳の分からなさはさらに増幅してしまう。

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一応閲覧注意。毎度のことながら物議を醸すPVを作るカニエであるが今回は少し度が過ぎたようだ。このPVに現れる裸の蝋人形はテイラー・スウィフトやリアーナなど、カニエと接点があった人たち12人がモチーフとされている。

 

 しかしそんなカニエに翻弄されながらも繰り返し本作を聴くと、二つの一貫したテーマが見えてくる。それが、家族とキリスト教的愛である。「家族」に関しては、カニエが父親となり(それになんと二児の)、家庭を持ったことを考えれば、なるほどこうしたテーマ設定に納得がいく。実際に"FML"や"Wolves"で子供や妻への愛をライムしているのに見て取れるように、今作はカニエは母を失った喪失感から制作された"808s & Heartbreak"とある意味で対照的であり、また、ある意味では結びついている。「キリスト教的愛」という宗教的要素に関しては、アルバムタイトルの"The Life of Pablo"が非常に示唆的だ。パブロが何であるか、リリース当時は色々と騒がれたが、本作がゴスペル的要素を持ち、神やイエスといった宗教的言語が用いられているのを鑑みれば、パブロ=パウロであることが導き出せるだろう。パウロと言えばイエスの死後、ペトロと並んでキリスト教の伝道に大きな貢献を果たした使徒の一人であるのだが、そのペテロは初めはキリスト教徒を迫害していたが、のちに回心しキリスト教の発展に寄与するようになった人物である。では、そんな"「回心」を果たした人物の人生"をタイトルに据えたということが意味することは一体何なのか。彼は、前作"Yeezus"において私は神だと高らかに歌った。イエスカニエの愛称であるYezzyを掛け合わせた造語である"Yeezus"というタイトルが表すように、カニエには"The Collage Dropout"時の"Thorough the Wire"にあるような、敬虔な神への感謝を示すような態度は無くなっていた。そんな彼が二人の子供を授かり、自らが神では居られなくなった。まさしく真の神に、カニエは我が子の安息を祈るのである。そしてそんな影響から今作は四歳児の子供の祈りから始まる"ゴスペルアルバム"となったのである。
 こうしたカニエの宗教的転回はまさに、パウロの回心の物語とリンクする点なのではないだろうか。カニエのこうした物語が、"The Life of Pablo"ーパウロの人生ーとオーバーラップすることこそが、今作のタイトルが意味するところなのではないかとは私の思う所である。

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こちらのPVではフランスはパリを代表するファッションブランドであるバルマンとのコラボがなされた。ビデオにはSia、Vic Mensaに加えて妻であるキムも登場している。

 

 というように、家族愛とキリスト教的愛は互いに重なり合った形で表現されており、それぞれが独立して表現されるわけではない。それはキリスト教におけるアガペーという考え方や、アメリカのプロテスタントキリスト教理解がそうさせている部分もある。とはいっても何よりカニエが、家族愛とキリスト教的愛を同一視していることが一番の要因であろう。こうした重なり合いは、まさしくカニエが、宗教というものを非常に肯定的に捉えていることの現れでもある。前回の記事でも触れたように、元来、セックスやドラッグ、暴力をライムするヒップホップは道徳的要素の強い宗教とは相容れない。そしてその傾向は公民権運動以降の教会の保守化によってより一層深められた。そうした中でチャンスの"Coloring Book"と並んでカニエの本作もゴスペルの要素を取り入れた宗教的な作品となったという事態は一体何を意味するのだろうか。

 チャンスは希望と平和を歌う際の拠り所としてゴスペルを志向したが、カニエは家族愛を歌う際の拠り所としてゴスペルを志向した。そんなカニエの宗教的信仰心が余すところなく現れたのが今作なのであるが、こうした信仰心と対照的な要素、出来事(前述のテイラーディスであったり、ツイッターにおける60億負債ある発言だったり)があまりに多く、悪目立ちするため非常に分かりにくさ、一貫性のなさが露呈してしまう。実際アルバムを通して聞けば、確かに前述のように家族やキリスト教的信仰心が一貫したテーマとしてあるとは言えども、やはりアルバムとしては散漫な印象を受ける。そう考えると、このアルバムは前作Yeezusで自らを神であると宣言したカニエによる一種の「人間宣言」のように思えてくる。つまり、ゴスペルという宗教的な表現を用いることで逆説的にカニエの人間らしさを全面に押し出した作品、というわけだ。さて、そんなカニエのアティテュードが垣間見える本作はこれからもアップデートされていくのだろうか。完成はまだしていないというこの"The Life of Pablo"の行く先は果たして何であるのかは未だ分からない。