ゆーすPのインディーロック探訪

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「上手くやれない」すべての人に。―Song Review:Arcade Fire / Creature Comfort

「上手くやれない」すべての人に。

Song Review : Arcade Fire / Creature Comfort (2017)

 

 今月末27日に5作目となるニューアルバム"Everything Now"の発売を控える我らがArcade Fire。そんなニューアルバムから先行配信されている"Creature Comfort"をご紹介。さらには彼らの新譜をめぐる動向なんかも書けたらなぁ、と思います。(訳:新曲がとても良すぎて、新譜が出るまで何か書きたい欲を抑えられませんでした。(笑))

  James MurphyにOwen Pallett、そしてDavid Bowieを集結させた2013年リリースの4thアルバムから4年。この間にもArcade Fireのシーンに対する影響力が衰えることはありませんでした。というか、衰えるどころか増したって言ってもいいんじゃないか。Father John Mistyが彼らの"The Suburbs"をカバー、さらには現在大人気のラッパーFutureが彼の楽曲"Might As Well"にて、Arcade FireとOwen Pallettがスパイクジョーンズ監督作品"her/世界でひとつの彼女"に提供した楽曲"Owl"をサンプリング、といったように、ジャンルを超えて支持される存在であり続けています。そして今作、"Evrything Now"ではなんとPulpのSteve Mackeyに、Daft PunkのThomas Bangalter(!!)を迎えたとのこと。Pitchforkでは、Arcade Fireがこうしでフランスのロボット(ダフトパンク)との奇妙なコネクションを手にするまでの経緯を"Musical Timeline"として紹介しています。2014年のコーチェラのステージで、Arcade Fireはダフトパンクのコスプレをした二人をステージに上げる一幕がありました。それからの三年間、彼らがミュージカル的な活動を行ったことがこの今作におけるダフトパンクとのコラボに遠まわしながらつながったとしています。*1


Father John Misty covers Arcade Fire's 'The Suburbs'

こちらが前述のFather John Mistyのカバー。

 

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そしてこちらがArcade Fire & Owen Pallettの"Owl"をサンプリングしたFuture

の"Might As Well"。 

 


Arcade Fire - Get Lucky (Daft Punk / Paft Dunk) / Normal Person (Coachellal, Indio CA 4/20/14)

ダフトパンク(偽)は1:16くらいから登場。これは観客も最初は本物だと思ってしまったようで…(笑)

 

 そしてそんな期待が高まっている(主に私の)、新譜"Everything Now"から先行で配信&ミュージックビデオも公開されている"Creature Comfort"ですが、なんとPortisheadのGeoff Barrowが共同プロデュース。本楽曲と私のPortisheadのイメージとはだいぶ違うんですが、そういえば今年のHostess Club All-Nighterで来日するBeakなるアーティストがジェフのバンドだったなと思いちょっと視聴。―うーん、かなりエクスペリメントでノイジーで渋い。しかしながら、本楽曲のノイジーでディープなシンセには相通ずる点もあるのかなと。そしてこの"Creature Comfort"ですが、オイディプス・コンプレックスを抱え自らを憎む少年や、自己承認欲求を満たせず自らの身体を憎む少女など、「若者」に特有の自己嫌悪感やSNS世代特有の悩みを歌っています。この点、喪失や青年期の終わりを歌った"Funeral"とは対照的です。そして印象的な一節が、Verse2の、

  Assisted suicide

  She dreames about dying all the time

  She told me she came so close

  Filled up the bathtub and put on our first record

のこの一節。一般的にどうだろうか、音楽を聴くことはポジティブな行為で、「○○を聴いて仕事頑張ろう」、とか「つらい時には○○を聴いて元気出そう」、って当たり前のように思うかもしれません。しかし、ここでは、音楽は自殺を幇助するものとして扱われています。音楽を聴いて元気になるのを認めた人でも、この対照的な音楽の性格に理解を示す人が多いんじゃないでしょうか。例えばバラードの失恋ソングだったり、劣等感を叫ぶロックだったり。こうした音楽は、一方でポジティブに作用する場合もなるほど確かにあるかもしれませんが、他方で間違いなくネガティブな作用を持っています。さらに、RadioheadのKid AやJoy DivisionのCloser、R.E.M.のAutomatic for the People等々、こういった作品を聴いたことがあるあなたは、音楽が自殺の幇助となる、という感覚を理解できるのではないでしょうか。

 しかしここで気になるのが"our" first recordとあること。ここで示唆されているのがArcade Fireの1stアルバム、つまり"Funeral"だとすると、上で言ったところの”ネガティブな音楽”とは少し相違があります。とすると、この少年少女はなぜ"Funeral"を聴いて自殺したくなったのか。ウィルバトラーがここで言いたかったことは果たして「"Funeral"に固有な現象として」なのか、はたまた"our first record"は単に例示であって、「音楽に一般の現象として」言いたかったのか、私は後者なのかなと思いますが、はっきりはしません。

 さらに自殺についてもう一つ。Creature Comfortとはすなわち衣食住のような生活を快適に送るための物を指していますが、皮肉的に、”自殺”をも痛みや悩みを解消する手段であるとしてCreature Comfortの一つに挙げています。「神よ、俺(私)を有名にできないんならただ痛みのない状態にしてくれ」と歌うRegineのコーラスは、悲痛な若者の叫びでありながら、一方で、生きている以上、痛みを伴うことは当たり前のことであって、「痛みのない状態」とは即ち「死」であるということを暗示しています。

 このように、本楽曲のテーマは「若者」と「死」であると見受けられますが、果たしてこの曲で歌われている「若者」は、本当にただ年齢的に限定された定義として在るのだろうか。そういった限定的なものではなくて、すべての、この世に生を受け痛みを抱えながら生きる、すべての人に向けたものなのでは無いだろうか。誰だって劣等感や承認欲求を持っているけれども、それをどうやって克服するか。うまく克服する人もいれば、そうではない人もいて、中には命を絶つ人もいる。この曲は、そんな劣等感を抱くことや大人になれないことが、決してそれ自体がアプリオリに悪いことではない、というメッセージなのではないだろうか。

 

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