ゆーすPのインディーロック探訪

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「一体で一枚岩の黒人社会」という幻想ーSong Review : Childish Gambino / This is America

「一体で一枚岩の黒人社会」という幻想

Song Review : Childish Gambino / This is America (2018)

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・"This is America"の衝撃

ー銃で人を躊躇いなく撃ち殺す

ー撃ち殺された死体は何事もなかったかのように回収される

ー銃を撃った張本人(ガンビーノ)は何事もなかったかのようにその場を立ち去る

そんな、なんともショッキングな映像から始まるこの"This is America"は、公開されるや否や大きな衝撃をもって迎えられ、音楽メディアに留まらず、様々なメディアや論者による議論の対象となった。

ミュージックビデオの強烈なオープニングから明白なように、アメリカのリアルを映し出すこの強烈な社会風刺において、最もセンシティブに映し出されているのが「銃社会」をめぐる問題であることは間違いない。

しかしながら、本楽曲が問題化している焦点はそれだけに留まらない。今回本記事で特に注目したのは、「『黒人』と一括りに表象される人々の多様な実態」に関する点だ。

黒人のアイデンティティ意識や立場の多様性は、まさしく、昨年、2人のラッパーが焦点化した問題でもあった。奇しくもちょうど昨年の今頃*1発表されたLogicの"1-800-273-8255"と、Jay Zの"The Story of O.J."がそれだ。

 

・「黒人=肌の黒い人?」ーLogicのアイデンティティ的苦悩

アメリカの国立自殺予防ライフラインの電話番号をタイトルに冠したLogicの一曲は、ゲイである少年の苦悩を描きながら、「誰だって人を愛する気持ちにかわりはない」と、一人一人の差異を多様性として、尊重して受け入れることの大切さをストレートに歌ったものだ。

このメッセージの背景には、彼の個人的な経験が反映されている。彼は白人と黒人のハーフながら肌の色は白く、白人からは黒人の血を引いていると馬鹿にされ、黒人からは白人がラップをやっていると嘲笑われた経験があるという。

ここで彼が問題とするのは、「肌の黒い人=黒人」の図式である。気持ちは黒人のつもりでも、肌が白いことで黒人のコミュニティから相手にされないーそんな経験をしてきた彼にとって、肌の色が全ての内的アイデンティティを決定づける訳ではないということは身を以て感じていたことであった。そんな彼は、自らのアイデンティティを、黒人でもあり白人でもある、と言っている。ここから言えるのは、「黒人」と一言で言ってもそれは単に「肌が黒い」ことを示すのみではなく、黒人をめぐるあり方は様々であってしかるべきだということだろう。反白人というアイデンティティでもなければ、非白人というアイデンティティでもないーそんな反抗的アイデンティティでも排他的アイデンティティでもない黒人アイデンティティの形を模索しているのだ。

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・「私にとって黒人とは?」ーアイデンティティのあり方の多様性

続いて取り上げるのは、Jay Zの"The Story of O.J."だ。このアメフト選手O.J. シンプソンをタイトルに関した楽曲で語られるのは、一括りに黒人といってもその内実、特にアイデンティティ意識は多様である、というメッセージだ。

このメッセージは、実際のシンプソン選手の発言に基づいている。「私は黒人ではなく、O.J.だ(I'm not black, but O.J.)」という彼の発言は、元妻の殺人容疑で起訴されたが無罪になった彼の裁判の判決が、被害者対容疑者の構造から白人対黒人という様相を見せることとなったことに対するものであり、人種問題に発展したことに対する反感を示していると言えるだろう。

様々なアイデンティティがある中で、「黒人」としてのアイデンティティを自覚的に選び取る人々もいれば、シンプソンのようにそうではない人もいる。権利要求の方法として、自らのアイデンティティを強調する場合やマジョリティーとの権利的平等を望む場合等、様々な形の差別解消への道がある。「黒人」と一言で言ってもその社会的状況は多種多様なのである。

残念ながら、こういった主張に対するJay Zの返答は、”still nigga”であり、呆れた口調の”okay”である。”黒人をただ「黒人」とひとまとめに扱うんじゃない”、”黒人にも多様性があるんだ”といった主張に対して、Jay Zは”結局黒人は黒人だ”と自嘲的に歌っている。結局、外から見れば、「みんな黒人」であり、そうした他人の思考的枠組みが長年において形成されてきたものであり、そう簡単に解消されるものではない、という点にJay Zは自覚的なのである。*2

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・交じり合わない二つの世界―ガンビーノの描くアメリカのリアル

では、"This is America"で問題となる「黒人」の多様な実態とはいかなるものだろうか。

ミュージックビデオにおいて非常に興味深い点が、「ガンビーノ及びその取り巻きのダンサーら」と「その他大勢の人々」の断絶である。この両者はミュージックビデオにおいて一切交わることがない。同じ空間を共有していながら、その様相はまるで違う。ガンビーノらが生き生きと笑顔でダンスする一方で、裏では慌ただしく走り回り、殴り合い、警察とやりあっている。

皮肉にもこの両者が交わるのは銃をガンビーノが撃ち放つ時だけだ。ガンビーノの打った銃弾が彼らに突き刺さることによって、まるで別世界にいるように描かれる彼らが全くの同じ世界にいることが確認されるのである。

こうした「断絶」は、サウンド面にも表れている。Chance the Rapperを想起させるゴスペルミュージックから始まる本楽曲だが、ミュージックビデオでガンビーノが銃を撃ち放つシーンを境に、尖ったダークなトラップミュージックへと移り変わる。

 

・「演じられる」黒人性―ガンビーノら、黒人スターの苦悩

では、これらの描写、これらの「断絶」が意味するところは一体何だろうか。FNMNLはガンビーノのダンスについて非常に興味深い指摘をしている。

あるTwitterユーザーはGambinoの動きに19世紀に白人コメディアンが差別的に黒人を演じたキャラクターJim Crowを模しているとツイートしており、Gambinoは自らのアイデンティティーを誇示しているのではなく、アメリカという社会で生きていくための黒人としての身体性を演じているとも言えるかもしれない。*3

この指摘を踏まえると、ガンビーノにとっての黒人アイデンティティは「誇示すべきもの」ではなく、あくまでも「作られたもの・演じられるもの」であると言える。彼は黒人アーティストとして活動するものの、彼のアイデンティティとしての「黒人」性は、消費者、白人らによって作り上げられたものなのだ。

作られたアイデンティティを「演じさせられ」るスター達―彼らは別にそんなつもりがなかろうと「黒人」であることをメディア等で強調されてしまう。「黒人初の○○」や「黒人としては異例の○○」といった表現が、その当事者自身が望んでいるアイデンティティ的強調であるとは限らない。

 

・焦点が合わないアメリカの「サバルタン

では、このミュージックビデオでガンビーノのバックに現れる「その他の大勢の人々」はどうだろうか。スターたちの「演じさせられる」その黒人性が消費対象として礼賛される一方で、一般の人々はそんなことはない。銃と、死と、逮捕と、常に隣り合わせの世界にいる。

そして、本ミュージックビデオにおける彼らの描かれ方は非常に示唆的だ。本ビデオにおいて、決してこの「その他」の人々に焦点が当たることはないのである。なんとなく走り回っていたりケンカらしきものをしていたりするが、はっきりと彼らが何をしているのかは見えてこない。

ここから読み取れるのは、たくさんの黒人スターが活躍する一方で、多くの「一般人」の存在が忘れ去られてしまっているということだ。黒人スターがまるで「黒人全て」を代表、表象しているかのように扱われ、実際の多くの人々の意見や考え方が無視されてしまう。スターたちの主張がまるで黒人全員の主張であるかのように扱われ、黒人の多様なあり方を淘汰し一元化してしまう。

サバルタン」とは、グラムシ南イタリアの未組織貧困層を指してこの語を用いて以降、ヘゲモニーを握る権力構造から社会的、政治的、地理的に疎外された人々をさすために使われるようになった術語である。このミュージックビデオにおける人々は、「疎外された」人々であり、焦点の合わない人々だ。こうしたことを考えると、そのあり方は、まるで「サバルタン」であるかのように見受けられる。*4

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黒人スターと「サバルタン」としての黒人の断絶ー本記事はその点に注目して述べてきました。黒人スターとしての自らの地位がいかなる特権的地位にあり、自らの表象がどのように形作られ、どのような影響を与えるか。ガンビーノはそのことに向き合い、自覚的になることでアメリカのあり方を表面的ではなく構造的・根本的に捉えなおそうと試みたのです。

本楽曲をめぐっては膨大な数の考察が書かれていまして、それぞれ非常に面白い観点から書かれていて刺激を受けました。本記事は「黒人スター」と「黒人の『サバルタン』」の断絶に注目して書きましたが、その他にも「資本主義」や「逃げられないアメリカ」といった様々な示唆を含んだ作品です。ぜひぜひ、みなさんも"This is America"をじっくり考えながら鑑賞してみては。ついでに"This is Japan"だったらどうだろう、なんて考えながら…(笑)

 

 

 

*1:多分、恐らく今頃だった気が…

*2:詳しくは過去記事『The Story of O.J.』から考える黒人の権利要求における多様性―Song Review : Jay Z / The Story of O.J. - ゆーすPのインディーロック探訪参照。

*3:【コラム】Childish Gambino - "This Is America" | アメリカからは逃げられない - FNMNL (フェノメナル)

*4:学術的には「サバルタン」という言葉は非常に厳密な、特定の含意において使われるものであるので、例えばスピヴァクの定義などを鑑みるとここでのアメリカの「その他」の黒人たちは「サバルタン」に該当しません。ここではあくまでも学術的というよりはより一般的な表現として用いていますので悪しからず。